ひだまりの温度を知っている

(――いつか、ハオを倒してオイラがシャーマンキングになったら、おまえは、)

 ぼくがまだ、にんげんたちの悪意と偽善とあらゆる狡知を憎み憎んでこころを蝕まれていった一人の鬼才の傍らにいた、あの頃、一度だけ彼におつかいを頼まれたことがあった。かれ、という三人称を使うことすら阻まれるほど、あのひとはぼくにとってそれはそれは尊い存在だった。
 生まれてからたった数年分の、ちいさな子どもだったぼくの知り得たせかいのなかで、ほとんど唯一の灯火みたいに、迫りくる死を取り除いてぼくに名前をくれたその日からいつもぼくの往く道を照らしていた。ように、おもう。なにしろぼくはあの頃ほんとうに幼くて、初めてもらった、宝物にも等しい名前さえ正しく発音できずに、オパチョ、なんて不可思議な響きで定着させたほどだったから、当時の記憶を手繰り寄せてみてもどこか夢見心地になってしまうのだ。

 客観的に見た事実と主観的に見た記憶とのボーダーラインはどこだろう?

「なあ、おまえ、いつかハオを倒してオイラがシャーマンキングになったら……そんときは、オイラを恨むか?」

 初めてのおつかいのさなか、ぼくにそう質したのは、あのひとと魂を分けた双子の弟だった。これは事実だ。けれども、そのとき相手がどんな表情をしていたかは、よく思い出せない。わらっていたような気もするし、寂しそうだったような気もする。たぶん、よく見ていなかったのだ。あのときのぼくにはまだ厭わしいちからが具わっていて、外側に貼り付けた表情なんて見る必要はなかったから、他人の目を見て話す習慣などもちろんなかった。

「ようさま、わかってる。つよいはハオさま。みんなまける」
「ああ、そうだな……。だから、なんとかせにゃならん」
「オパチョ、うらむしない」
「……ん?」
「ハオさまいってた、うらむはしんどい、にくむもしんどい。だからオパチョうらむしない」

 しばらくの間をおいて、そうか、とだけ彼はいった。あんまりやさしい声色だったから、ぼくは少し気を引かれて、ちろりと隣をのぞき見た。
(……ようさま、うれしい、?)
 ぼくの大切なあのひとが、極稀に見せてくれたこころからの笑みとよく似た顔で、彼は微笑うのだった。こころがぽかぽかとあたたまるようだった。きっとハオさまをおもいだしたからだろう、と、そのときはおもっていた。

 あれから幾星霜を経て、ぼくはいま、おもいでのなかの彼らと同じだけの歳を重ねた。
 それまで見えなかった現実が見え、代わりに、ちいさな子どもの視点からのみ見えるせかいはすっかり失われてしまったけれども、お陰で解ったこともある。あのとき彼に感じた、あたたかくて居心地の良い、あの不思議な感覚は、紛れもない好意だった。ぼくに対しての。そして、ハオさまに対しての。ぼくはそれがうれしかったのだ。ちっともハオさまのおもいどおりにはならない葉さまを、でも嫌いではなかったのは、きっと、同じ理由からだった。

 あの頃ぼくのせかいは、いつだってハオさまを中心に回っていたんだ。ぼくは、それがうれしかった。

(2009/01/04)

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