自分の与り知らぬところで事が運ぶことを極端に嫌うこどものような感情を、持て余さない程度にはおとなであると自負している。
傷だらけの顔をありったけの歓喜に綻ばせながら駆け寄ってきた仲間の一人と、その後ろで微かに笑った女の姿を認めたときから、いままで感じたことのない類の感情が俺を支配した。嬉しいような、きまりが悪いような、でも決して不快ではないから不思議だ。それを自分以外の誰にも悟らせないことばかりに気を取られて、無駄の限りを尽くした屋敷を後にするまで肝心なことは何も見えていなかった。
けれどそれも束の間のこと。
ほとんど無意識に研ぎ澄ませてしまう俺のこの眼は、どうしたって見たいものだけを都合良く映してはくれないのだ。アキとクラピカが再会してから一度も俺の前で言葉を交わしていないことには疾うに気づいていたが、改めて意識してみると、肩を並べて歩くことすらないのだった。わざとらしいほどに。そのくせ視線の合わさる頻度は明らかに多いのだから、いよいよ不審である。初めて彼女の瞳の色を知った日に覚えたそれと同じ違和感。なにかはわからない。だけど以前とは違うなにかが、二人の間に流れている。
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市街まで歩くのは面倒だったので、俺たちは日に一度は必ず訪れる観光バスの到着を待った。思わぬ途中乗車を受けて狐につままれたような顔をする運転手たちを尻目に、さっさと一番後ろの席に座る。俺の後に続こうとしたゴンを、ツアーコンダクターらしき女が引き止めた。何故あの場所から無事に戻ってこられたのかと詰め寄られる姿が可笑しくて、ゴンには悪い(なんてこれっぽっちも思っていない)が、俺は顔を背けてすっかり無関係を気取っていた。巨大な扉の向こうに広がる未知の世界を虚実とりまぜて熱っぽく語る添乗員の声には素知らぬ顔で。
「嬉しそうなかお」
すとんと俺の隣に腰を下ろしながら声を掛けてくるまで彼女の気配にまるで気付かなかったことに、俺は冷静に驚いた。いくら視線を窓の外に投げていたとは言え、この狭い車内で隣を通られて気づかないわけがない。どんなマジックを使ったんだ?当の本人はそれをひけらかす素振りも見せず、何食わぬ顔でそこにいる。他方、やはり不自然なまでに彼女との距離をつけて、わざわざツアーコンダクターの煩い前列の席を選ぶクラピカの姿が目に入った。
なにかあったのか、とは訊かない。素直に疑問をぶつけたところで、どうせまた返ってくる科白は同じだ。「別に何も」、いつか聞いた彼女の声が耳の奥に響く気がした。
「実はさ、俺けっこう期待してたんだよね。ゴンなら来てくれるんじゃないかって。けど、あんたは……、」
「来ないと思った?」
先を見通して言葉尻を継いだ彼女の、どこか挑戦的に、しかし微かな慈愛を込めるように細められた目を、俺は好きだと思った。
「五分五分ってとこかな」
気のない素振りを装って、視線はふたたび窓ガラスを透過する。流れる景色はあたかも無声映画のように。興味を抱かぬ者を置き去りにして、たんたんと進み、いつか終わる。それは幼い頃思い描いた自分の人生に似ていた。ある程度の危険を回避できるようになれば、残ったのは退屈さだけで、生きている限り勝手に流れていく、人生に。ちらりと後ろを振り返れば、実家は既に山の一部となって、シルエットすら判別できないところまで来ていた。いっそ清々しいほど未練も後悔もありはしない。いまこのときからの日々を友達と共有できる喜びと、期待、様々な感情が胸に湧いて。止め処なく思考は流れる。市街に出た後、俺がゴンと連れ立つのは確実だが、彼女はどうするのだろか。行く当てはあるのか?一緒に来ればいいのに。たとえあの男が俺たちとは違う方向にその爪先を向けたとしても。
同じくちらりと、今度はずっと慎重に、隣の女を盗み見る。車窓に映り込んだ顔には笑みこそ浮かばないものの、機嫌が良いのは明らかだ。
――俺と会えたから?それとも、あいつとなにかあったから?
二分の一の確率が恐くて疑問を口に出せない、なんて、こんなの初めてだ。今日一日で感じたきもち何もかもぜんぶ、初めてだった。
アキは長いあいだ飽きもせずに窓の外を眺めていた。バスは山道に沿って、時に荒々しく車内を揺らしながら、着々と山を下りていく。
(こころ)(2008/01/12)