急激に肌の冷える、あのおぞましい感覚は、いつだって絶望の近くにあった。飽くほどに味わってきたその経験をいまここで繰り返すのかと思うと、心底ぞっとした。気づいた時にはもう手が出ていた。
模擬戦とはいえ一瞬たりとも気を抜いてはならないと、あれだけ言い聞かせたのに。あやうく仲間を傷つけるところだったのに。それをどうしてへらへらと、……いや、ちがう。これは。
しん、と静まった空気のなか、頬を打たれた少年は驚いた顔でこちらを見ている。
これは、恐怖心からくる怒り。
単なる八つ当たりだ。
–
「こんな所にいやがった」
イラつきを隠そうともしない声だった。無重力のなか真っ直ぐにこちらへ進んでくる姿を視界の端に確認していたから、驚きはしない。
イザークは無駄な動きなくコックピットに手足をかけた。
「隊長。口が悪いです」
「うるさい、呼んでも無視する貴様が悪い。どうして俺がわざわざ部下を探して歩き回らなきゃならん」
「隊長室行ったら怒られるかとおもって……」
「叱責を受けるべきはおまえじゃない」
「……そん、」
「こともない」
「どっちよ」
肩の力が抜けてしまった。それが表情にも出ていたのか、私の顔を見てイザークは、ふ、と微かに笑った。
――ああ、これは。
見透かされているな、とおもう。
罪悪感からの、緊張。悔いているのだ。本隊に来て間もない、前途洋洋たる後輩に手を上げたこと。
ザクのOSを調整したくて、……というのは口実で、隊長直直の呼び出しに応じるのが嫌で、格納庫に逃げてきたのだったが、この機体が模擬戦で調子が出なかったのも事実だ。エミュレータを稼働させ、いくつかのウィンドウを開く。
イザークも顔を寄せて画面を覗き込んだ。
「座標にズレは?」
「ないみたい。あのこ、攻撃を受けてから切り返すまでの反応はすごくいい……ていうか、良すぎるのかも。機体の反応速度とのギャップに慣れてないだけ」
「そのギャップを埋めるには経験を積むしかないだろう」
「仰るとおりで」
「……おまえ、さっきからなぜ俺の目を見ない」
図星をつかれてわずかに動揺した。まだ理由を用意していない。この場を上手に切り抜けるためだけの、理由。
目を合わせたら、なんだかもう、泣いてしまいそうだった。
どうしてこんなに胸が詰まるのか、じぶんでもわからなかった。
「目を合わせるとたちまち石に変えられて」
「アキ」
……ごめん、と、消え入りそうな声が出た。それからあとは何も言わない。ふたりとも。ずるい、とおもった。この沈黙はほとんど誘導尋問のようなものだ。
それでも必死でなにかを取り繕おうとする私を、このひとは、あっさりと。
「バカが。俺の前でまで我慢してどうする」
イザークはずるい。ずるくて、胸がいたいくらい、優しい。
(2011/09/03)