見つけた灯火

 ただでさえ非日常に侵された空間がさらに加速度を上げて現実から離れていくような錯覚に陥りながら、弥子は息を詰めて前を見据えた。
(……ネウロじゃない)
 眼前に在る姿は確かにあの暴虐の限りを尽くした魔人をきれいに模っているし、会話に違和感もなかった。けれども、視線を送った先にある瞳だけは、その姿が虚偽であることを如実に物語っていた。人間らしい二つの輝きが、人間らしいが故に、彼本人ではないことの証明になる。
(ネウロじゃない)
 それを確信した時、背筋を這うようにして恐怖心が体中に広がるのを感じた。遠ざかるリアリスティック。目の前にいる彼は、おそらく。

「なんで分かった?」

 目が合った途端、あからさまに警戒を強めた弥子を難なく察し、脳噛ネウロの姿をした彼は実にあっさりと口を割った。意識してその声を聞けば、やはりオリジナルと寸分違わぬことに弥子は冷静に驚く。だけど、違う。ひとつだけ違う。あいつの虹彩はこんなにも鮮やかな色を持たない。いよいよ弥子は確信を深めた。

「ネウロは外で猫を被る時以外にそんな眼はしない」
「あ、やっぱり?」

 悪びれもなく響く少年の声。一人の人間(尤もその姿のオリジナルである者の本質は違うのだけれど)の声が突然がらりと変わるのは不思議な感覚がするものだ。そしてそれ以上に、人間の躯が一旦溶けて固まりなおすように変形する様は、最早不思議という言葉で片を付けられる程度の不可解さではなかった。

「あのブラックホールみたいな眼だけは上手く真似できなかったんだよね」

 あっというまに見知った怪盗の姿を取った少年は、悔しそうでもあり、楽しそうでもある。
 解けないパズルに夢中になる子供のような顔をして、これまで一体何人の命を解いてきたのだろうか。わたしもここで終わるのだろうか。そしたらあいつはどんな顔で彼に向き合うのだろう。少しは動じてくれるだろうか。それとも、かつてわたしだった赤い箱を足蹴にして嘲笑うだろうか。(所詮貴様はこの程度か、ヤコ)ありありと脳裏に浮かぶ声は少しも哀しむ素振りを見せないけれど。弥子は思う。二つの小さなブラックホールの映し出す景色が少しは歪めばいい。

「そんなに緊張しなくていいよ。今日はただの実験だから」

 こんなに早くばれるとは思わなかったけどね、と彼は素直に称賛した。
 目下最大の興味対象である者が眼前の少女を手放さない理由を、少しずつ理解してきている自分が、何より興味深い。俺やネウロにそんな風に思わせるこの娘の細胞はどんなかな。ふと、自分のものと比べてみたい衝動に駆られた。しかし手を出す気にはなれなかった。探偵とその助手を名乗る二人にもう少しだけ追いかけられてみるのも悪くない。

「やっぱり中身を見てみなくちゃ」

 無邪気に言ってのけた少年の瞳に灯った人間らしい光を、弥子は興味深く見つけていた。

(ひとの限界を悠悠と超えていくあなたは)(それでも、やっぱり、人間だよ)
(2006/10/28)

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