頬から始まったそれはゆっくりと唇へ向かい、もう一度頬を経て、あっというまに首筋へ辿り着く。抱きしめると言うより抱きつくと言ったほうがしっくりくるような力任せの抱擁はまるで母親との距離を無くすことで安心を得ようとする子供のようで、私は幼子をあやすようにゆっくりと彼の髪に手を滑らせた。するすると指の間をすり抜けていく銀白色がひどく心地良い。下手をすれば湿った音を立てながら体の至るところに与えられたキスよりも、ずっと。ずっと。
「……何だ」
「え?」
「いま笑っただろう」
思い当たる節はあった。キスより髪を梳くほうが心地良いだなんて言ったらどんな顔をするか、考えて無意識に笑みが零れてしまったのだ。
けれども、正直に答えればイザークは拗ねてどこかへ行ってしまう気がした。それこそ子供みたいに。だから私は「気のせいでしょ」とだけ告げて彼の肩に顔を埋める。
――小さな息遣いもダイレクトに伝わるこの距離を私達はいつまで保てる?
私の内に宿る懸念をその重みで跡形もなく押し潰してくれればと、彼の体重を受け入れるたびに願う。言葉には代えず、密やかに。
イザークは確かなことを何も言ってはくれなかった。言葉や贈り物で私を縛ろうとはせず、いつもただ傍に在った。彼の気持ちを疑っているわけじゃない。だけど時折、病に侵されるようにじわじわと胸に広がる不安を持て余すことがあるのも事実だ。そんなとき支えになるような何かを欲するのは、私のわがままなのだろうか。
目が覚めたとき、室内に彼の姿はなかった。軍服も一緒に姿を消しているところを見ると私が眠っている間に緊急の呼び出しでもあったのだろう。隊長に昇格してからの彼の忙しさときたらそれまでの比ではなかった。
体をベッドに沈めたまま大きな欠伸をひとつ。うっすら浮かんできた涙を拭おうとしたとき、何か硬くて冷たいものがまぶたに触れた。驚いて瞳のすぐ近くで霞む左手を視界の定まる位置まで持ち上げると、私の目に一筋の光が飛び込んだ。
この世で最も愛しい名前を声に出そうとしたけれど、わずかに唇がわなないただけで空気は震えなかった。こんな小さなものひとつで満たされる心があるなんて。口づけとは正反対の感触でありながら導き出される答えに少しの誤差もない贈り物が、音もなく輝くのを、いつまでも眺めていたいと思うほどに。
(2005/07/19)